940の生産中止は世界遺産を1つ失ったようなもの乗り始めてかなり経ちますが、前の車は2、3か月で飽きていたのに940はなかなか飽きません。 それどころか、乗れば乗るほど、知れば知るほど、940への共感と愛着は深まるばかりです。正直言って、これほどとは思いませんでした。 私の独断と偏見によれば、ボルボ車のラインアップのうち900シリーズ、とりわけこの940にはボルボの理念・哲学が最大限に具現されているのではないかと感じます。 この940が生産中止になってしまったことは実に惜しいことであり、残念で仕方がありません。 まるで世界遺産を1つ失ったような気持ちです。 欧州の技術者の卓越性はじめは、インパネなどにデザインの古臭さが目立ち、価格の割に安っぽい、同じ値段でもっと豪華な日本車が買えるのでは、との思いがどこかにありました。
しかし、940を日常使い、接してみるとそんな考えはどこかへいってしまいました。
各部を覗いたり、いじったりしていると、大量生産を指向していたら決して生まれそうもないような凝った形の部品が見つかり、そのたびに驚かされています。
どうでもいいと思われる小さな部品でさえも入念に設計されていることを知ると、欧州の技術者の層の厚さと卓越した技術を感じずにはいられません。
940で車を知る実はこれまで私は日本車が、高級ではないが一番丁寧に造られていると思っていたのですが、それは完全に間違いでした。 「故障しにくいこと」は即「丁寧に造り込まれていること」であると錯覚していただけだったのです。 さらに「素っ気ないこと」と「安っぽいこと」は違うということを知りました。 日本車は故障が少ないことは確かですが、ごまかしのない誠実な造りや、思わぬところに見せる品質の過剰さといった設計者の良心を感じさせる部分が見出せないのも事実です。 私は940を通して「日本に自動車産業はあるが車造りはない」という意見を実感しました。 造り込みの丁寧さ造り込みの丁寧さを実感した点は大体以下の通りです。 以上のことは、こと車に関してはこれまで意識したことがなく、940からこちらに訴え掛けてきたので意識するようになったという感じです。 昭和49年に米JBL社製のスピーカユニットを手にした時に感じたクラフトマンシップ溢れる製品の魅力と共通するものでした。 それが、当たり前と言えば当たり前ですが自動車の世界にもあったのだとあらためて思った次第です。 優れた製品は、その魅力を製品の方からこちらに訴えかけてくるようです。 モデル末期であっても毎年細部の改良を続ける一方、良いと思った部分はコストダウンという言葉を知らないのではないかと思えるほど最初の設計仕様を守る設計者の姿勢は尊敬に値します。 プラスチックや布地などインテリア素材の質感もよく見ればかなり良く、各部に必要かつ十分な素材が適切に使われていることがわかります。 大人を対象とした車造り、ユーザーに媚びない車造り、この車で「正しく造られている」という意味を知ることができました。 車に対する見方の変化940を知った結果、今では外国車を見る目がまったく変わりました。 以前はスタイルしか見ていませんでしたが、今は造り込みの丁寧さや安全対策などに注意が向くようになりました。 ボルボ車にはドイツ車のような緻密さと、ラテン系のおおらかさの両方を併せ持っていると言った評論家がいましたが、その通りだと思います。 スウェーデンは自動車の部品を自国ですべて調達することが難しいために、国外の優秀な部品を積極的に利用しているようです。 940の細部を見ていくとスライディングルーフやドアキャッチなど "Made in Germany" と刻印されている部品が良く目立ちます。 詳しくはレポート「構成部品の生産国」を参照してください。 |